大明宮遺跡は、英語では Da Ming Palace Site と呼ばれています。
大明宮は太極宮、興慶宮とともに唐長安城の三大宮城の一つで最大規模を誇ります。
上の地図は、大明宮を中心とした開発区の区域規制図(Regional Planning)です。
真ん中の緑色のところが広大な大明宮遺跡ですから、ここを中心とした宅地開発がいかに大規模化が分かると思います。
唐時代の長安城は582年に創建され、その後も首都として904年に洛陽に遷都するまで発展しました。
都市の規模は大きく高い城壁と華麗な宮殿区に官庁街、整然とした街路がありました。
建国当初は皇帝は宮城内に住んでいましたが、634年に太宗李世民は父のために大明宮の造営をはじめ、その後太極宮から大明宮に朝政を遷し大明宮が政治の中心となりました。
上の写真は「日本不動産学会」歓迎の電光掲示板です。
大明宮は含元殿、宣政殿、紫宸殿の三つの正殿からなる政務区と、その北側の太液池を中心とする居住区から成っています。
私たちは最初に展覧館で発掘品やビデオを拝見した後に、すぐ隣の含元殿に登りました。
数年前までは農村でしたが全てが取り壊され、まだまだ周囲は工事中で10月のオープンに間に合うのか心配でしたが、ガイドさんのお話しでは大丈夫とのことでした。
オープンの7ヶ月も前に大明宮を視察できたのは大変ありがたいことです。
下は含元殿から丹鳳門を望むパノラマ写真です。
下は含元殿を南側から見上げたパノラマ写真です。左側が栖鳳閣で右側が翔鸞閣です。

右は丹鳳門を西側から見た写真です。唐の時代の煉瓦はこの復元のように黄土色をしていたそうです。
2005年、中国の考古学界は多くの歴史遺跡の発見に沸きましたが、中でも最も価値のある6件の発見が社会科学院考古研究所の審査の結果、「2005年中国考古のベスト6」に選ばれました。その中でも注目されたのが唐代に建てられた長安城大明宮の丹鳳門の遺跡です。
またこの丹鳳門の南側一帯の大変にぎやかな商店街はこの開発によって一瞬に消え去る運命にあります。
そういう意味では中国の開発って本当にすごい迫力があります。
これはスクラップアンドビルドを猛烈な勢いで進めいている現状を視察した者でないと分からないかもしれません。
今回の大明宮の発掘と復元に関連して西辺約2.3キロメートル、東辺約2.6キロメートルにおよぶ広大な大明宮の敷地の周辺では、その約7倍の面積の大再開発が既に行われていて太華北路を中心として超高層マンションの建設ラッシュが始まりつつあります。
上記の開発図(区域規制図)の黄色いところが高層マンションの建設現場です。
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