今年、日本は平城遷都1300年祭でにぎわってますが、ひと足先に仏教や都市計画の原点であるシーアンを詳しく視察してきて、空海や阿倍仲麻呂らの超偉大な先人遣唐使の努力と、命をかけて中国文化を輸入した彼らのパイオニア精神に感動しました。
中国の先進的な技術や仏教経典の収集が目的とされた第1次遣唐使は630年に始まりました。
上の写真は阿倍仲麻呂記念碑です。
阿倍仲麻呂(698年-770年)は吉備真備らとともに717年に第9次遣唐使として中国の長安(今のシーアン)に渡り、隋から清の時代に行われた官僚登用試験の科挙に合格し唐朝諸官を歴任して高官となりました。
同時代の李白らの詩人とも交流があり、玄宗皇帝が「晁衡」の名前で唐に仕えていた阿倍仲麻呂を、752年に唐の奉還使として遣唐使といっしょに日本を訪問するよう命じましたが、彼らを乗せた船は帰国の途中で難破し、暴風雨で船が漂流し今のベトナムに漂着し755年には長安に帰り日本へは帰国しませんでした。
李白は晁衡が遭難したという知らせを聞いて悲しみにくれて「晁卿衡を哭す」と題する詩を書きました。
下の写真は興慶宮の門です。
現在の西安交通大学の咸宁西路を隔てて北側にある興慶宮公園の中に阿倍仲麻呂記念碑があります。
空海(774年-835年)は死後に弘法大師として知られるようになり真言宗の開祖として知られています。
空海は優れた宗教家であっただけでなく漢詩文にも秀で,唐では仏教のほか書法や筆の製法なども学びました。日本では嵯峨天皇、橘逸勢と共に三筆の一人として有名です。
私も書道をやっていたので空海の達筆さには感心致します。
写真は青龍寺にある空海記念碑です。
空海は最澄や霊仙らとともに804年に中国に渡りましたが、この時4船が出航しました。空海は遣唐大使の乗る第1船に、最澄は第2船に乗りましたが第3船と第4船は遭難したそうです。
しかし、空海の乗った船も漂流し航路をはずれて8月10日に漂着し長安にたどりついたのは12月23日です。
空海はまず般若三蔵から梵語を学び、5月に青龍寺の恵果和尚に師事し仏教、漢学、詩などで多くの成果を上げ、806年8月に多数の仏教経典や書籍を持って帰国しました。
空海が日本に持ち帰ったのは密教などの当時の最新の外国文化で、日本の仏教文化に与えた影響は測り知れません。
写真は青龍寺です。青龍寺は鴈翔路にあり上記の興慶宮の南方約3.5kmにあります。
青龍寺は四国八十八か寺の0番札所です。
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