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カテゴリー :「シーアン写真集」

シーアンの市内は、上海や北京に比較すると、全体的にまだまだ開発が遅れています。

新しい高層建物が建ち並ぶ地区は近代的で日本と全く変わらず大変きれいですが、マンションの建築工事現場も多く見られます。

古くからの低層の商店や住宅が建ち並ぶ地区ではソ連式の建物が多く全体的に老朽化し陳腐化しています。

中国の市民はお金があれば、新しいマンションに住みたいと多くの人が考えていますが、環状線の内側では既に庶民の手が届かないレベルにまで、価格が高騰しています。

 

下の写真はスライドショータイプにしました。早送りや巻き戻しもできます。回線によっては動きが遅くなります。

ちなみに中国は右側通行で、交差点が赤信号でも右折はできます。

Photos of Xi'an(17) 西安 鐘楼

鐘楼Bell Tower

下の写真は鼓楼と鐘楼のペアのチケットの左側です。

両方を観て27元です。

shourou ticket.JPG

Photos of Xi'an(16) 西安 鼓楼

 鼓楼 Drum Tower

下の写真は鼓楼と鐘楼のペアのチケットの右側です。

副券と書いてあります。

korou ticket.JPG

①  良心堂  住所:小寨東路紅小巻5号

西安はシルクロードの出発地点です。

シルクロードは絹製品だけでなく、仏教文化や西洋文化が行き交った道です。

良心堂は市内にある絹製の絨毯の製造直売所で、日本語の堪能な店員さんのいる外国人向けのカーペットショッピングセンターみたいな所です。

下の絨毯は、北京の人民大会堂にあるものと同じものだそうで、ここ良心堂で作られたものです。

西の果てにある万里の長城の脇を通るラクダの列が遠い昔のシルクロードの旅の様子を良く表しています。

西安の大明宮遺跡の復元とその周辺の大規模なマンション開発は急ピッチで進められていて、秋までには西安駅の北側は全てが取り壊されます。

現在では下の写真のような古い商店街が延々と続いていますが、あと数か月でこれらはすべて無くなり、西安駅北口公園として生まれ変わります。

不動産開発において、日本と中国の最大の相違はスピードです。

日本の土地は多くに私権が及んでいて、勝手に他人の土地を開発することはできませんが、中国では土地は全て国家のものですから、補償はありますが、住民を立ち退かせる「地上げ」行為にはかなりのスピードが有ります。

大明宮に着いて、私たちは、まず展覧館に行き係の方から大明宮の解説を受けました。

その際に用いた大明宮の模型が下の写真です。

写真では一番下に見えるのが今の西安駅です。

そこの北側に丹鳳門があり、その先に含元殿がそびえ、その奥に太液池が見えます。

ところが我々視察団が訪れた3月末は、まだまだ造成工事の途中で、というよりただただ広い広い乾いた大地があるだけという感じでした。

こでれ10月のオープンに間に合うのかどうか、こちらが心配になります。

今回は日本不動産学会の視察ということで、曲江新区の管理委員会を訪問させていただきました。

めったに来れる場所ではないので、管理委員会の若いエリートの方々から聞けたお話は貴重なものでした。

曲江新区管理委員会(Xi'an Qujiang New District Administrative Committee)が管理している観光施設はかなり広範囲です。

東は秦始皇帝陵(Mausoleum of the First Qin Emperor)・兵馬俑(Terra-Cotta Warriors And Horses)から西は法門寺(Famen Temple)まで。

市中では大唐芙蓉苑(Tang ParadiseDatang furongyuan・Lotus Garden)、大雁塔(Big Wild Goose Pagoda)、大唐不夜城(Xi'an Datang Sleepless City)、曲江海洋世界(Qujiang Ocean World)、大明宮(Da Ming Palace Site)、北湖・南湖(South and North Lake)などです。

興慶宮は大明宮、太極宮とともに唐長安城の三大宮城の一つです。

それらの位置関係は次の唐長安城遺跡平面図の通りです。

この図で長安城の造りがよく分かります。

皇城を中心にその北側に太極宮があり、その北東に大明宮があります。

興慶宮は皇城の約1km東側の現在の咸寧西路37号に位置します。

その他、小雁塔、大雁塔、芙蓉苑、曲江までが長安の都であったことが分かります。

Photos of Xi'an(10) 西安 南湖

中国人は湖が大好きです。

昔から皇帝の宮殿には湖がありました。

今回の西安でも、興慶宮や大明宮にも大きな湖があり、興慶宮には興慶湖が、大明宮には太液池があります。

我々が夕食を頂いた宮廷料理の御宴宮がある大唐芙蓉園として整備された公園の大部分は芙蓉湖(北湖)ですが、それとつながっているのが曲江池(南湖)です。

ここは近々移転予定の曲江新区の区役所の西隣にありますが、最近整備されたばかりのピカピカの道路と真新しい施設が印象的です。

しかし、開発前には南湖の場所は畑だったことが写真で分かります。

 

下の写真は横アニメーションタイプにしました。早送りや巻き戻しもできます。回線によっては動きが遅くなります。

青龍寺は唐の長安城内の新昌坊に位置し、仏教密宗の有名な寺院でした。

582年に建立され初めは霊感寺と称されましたが、一時退廃し662年に再建されましたが744年に青龍寺と改称されました。

その後、845年に全国的に排仏事件があり青龍寺も廃棄され皇家の内園となりましたが、翌年再び寺院として復活し護国寺と名付けられました。

そのまま北宋代までは続きましたが、次第に荒廃しついに廃墟となって消えてしまいました。

下の写真は九龍湖を北側から撮ったパノラマ写真です。

華清池は西安の北東約30kmの、標高1256mの驪山(りざん)の麓にあります。

ここは昔から温泉が出ていて玄宗皇帝や楊貴妃が過ごしたことで有名ですが、現代史では蒋介石で有名です。

1936年10月、国民政府の蒋介石は、紅軍(共産党軍)の根拠地に対する総攻撃を命じました。

この攻撃に参加していた張学良は抗日的で、共産党との国共内戦の停止、一致抗日の主張に感じており、共産党軍に対する攻撃が消極的となっていました。

共産党討伐が進まず怒った蒋介石は、この二人に檄を飛ばすため西安にやって来て華清宮に泊まっていました。
しかし、張学良の部下の多くは共産軍との内戦停止と一致抗日を支持し、蒋介石に対し12月12日朝5時反乱を起こしました。これが西安事件です。

下の写真は兵馬俑全体の解説写真です。

赤く囲んだ場所が施設全体です。

写真の右上側が駐車場で、そこに始皇帝の大きな像があります。

そのすぐそばの入口から兵馬俑博物館の入口までは遠いため、電動のバスに乗って移動しました。

写真の左側が兵馬俑博物館で、一番大きな1号坑は長さ230m、幅62m、深さ5m、総面積14,260平方mの規模で、巨大な体育館みたいな造りです。

そこの兵士は攻めてくる敵に対し、皆東側を向いていて始皇帝陵を守っています。

写真の右下側は大きなお土産モールになっていて、博物館から駐車場まで歩いて帰る観光客に対して商売熱心です。

兵馬俑博物館は国家1級博物館であり、国家AAAAA級旅游景区です。

下の写真は兵馬俑博物館の1号坑の中でもくもくと作業をしている遺跡修復の係の方々です。

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シーアン中心部から南西へ車で十数分程度の位置に所在しているHigh-tech Industries Development Zone(高新技術産業開発区)を視察しました。

下の写真は、ものすごい勢いでこの開発区に投資資金が流れ込み急成長を遂げていることを示すグラフを誇らしげに説明する高新技術産業開発区管理委員会の呂さんです。

呂さんの日本語は非常に流暢できれいな発音ですが、日本への留学経験は全くないそうです。

驚きました。

西安の城壁は、周囲の長さが13,912m、(東2,886m、西2,798m、南4,256m、北4,262m、11.5km2) で、唐・隋の時代の宮城を基盤にし、明代の1378年に造られました。

現在中国で完全に残る珍しい城壁で、東西南北に城門が設けられていて、現在ではこれらの門以外にも多くの門があります。

面積は唐の時代の1/9に縮小されていて、最下層は石灰・土・濡米を混ぜあわせて強固にしてあります。

高さは12メートル、下幅18メートル、上幅12k~15メートルもあります。

東西南北四面には長楽門、安定門、永寧門、安遠門の四大大門が設けられており、どの城門でも三つの部分、即ち望楼、箭楼、正楼からなっています。

Photos of Xi'an(3) 西安 碑林

西安碑林博物館は碑林区三学街15号にあります。

ここは中国で最初に設立された石碑・墓誌銘を所蔵する宝庫で、現在では3,000点余りの収蔵品があります。

東側の門から入ると、左手(南側)に孔子廟(文廟)がありますが、これは当博物館の重要な構成要素となっています。

法門寺博物館には多くの秘宝が飾られています。

下の絵は法門寺で見た唐代の様子の絵ですが、お役人の方々の真ん中にチョンマゲ姿の阿倍仲麻呂がいます。

阿倍仲麻呂(698年-770年)は吉備真備らとともに717年に第9次遣唐使として中国の長安(今のシーアン)に渡り、隋から清の時代に行われた官僚登用試験の科挙に合格し唐朝諸官を歴任して高官となりました。

視察団が滞在したのは城壁の南門の道路を隔てて南西側に位置するGrand Park Xi’an 、西安君楽城堡酒店です。

視察初日の午前中は、ホテルを出てから法門寺に向かいました。

西宝高速道路を使いましたが、市街地を抜けるとずっと農村地帯が続きます。

車窓から農池の写真を何枚も撮りましたが、農池の中にポッコリと土が盛り上がっている所が何か所も見られます。

これは中国の農民のお墓です。農民は自分が耕作している麦畑の範囲の中に土を盛って墓を造り、死者をそこに葬ります。土葬です。

葬式は日本みたいにしめやかなものではなく、にぎやかに酒を飲みかわすものだそうです。

ただし、同じシーアンでも、都市部では土葬は認められず火葬にするそうです。