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カテゴリー :「中央区名建築」

交詢社通りに面する交詢ビルディングは、関東大震災で被災した後、1929年(昭和4年)に建てられた歴史的建造物でした。

が、2004年に建て替えられ、新しいビルは地上10階で、有名なバーニーズ・ニューヨークなどのテナントが入っています。

下の写真の通り、メインエントランスのファサードなどの以前の建築の一部を保存して新築されています。

鳩居堂前のこれまでの最高価格は1992年の3,650万円で、その後、バブル経済崩壊で急落し、1997年には3分の1以下の1,136万円まで下がったことがあります。

東京メトロ銀座線のA2出入口の目の前です。

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和光ビル本館の時計塔は、銀座のシンボル的存在です。

時計台には鐘楼があるそうで、また、4面ある文字盤は東西南北を向いています。

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三原橋センターは、この先の中央通りに平行して流れていた三十間堀の跡です。

この地下街は晴海通りの地下を南北に結ぶだけの短いものですが、戦後初めてできた地下街でして、まさにヴィンテージ物の地下街です。

晴海通りの万年橋を渡り私たちが最初に目にしたのは、解体工事のためにブルーシートに覆われた歌舞伎座でした。

今の歌舞伎座は4代目で、昭和25年12月に大正時代の建物を改修してできたものです。

平成22年4月まで活躍しましたが、取り壊され2013年春には5代目の歌舞伎座が新しくオープンする予定です。

この日は今の歌舞伎座の最後の姿を見る事ができ、記念になりました。

築地本願寺正面の新大橋通りを南下し晴海通りを右折すると、すぐ華僑大厦(Overseas Chinese Bldg)があります。

明石小学校から築地本願寺までの間には、桂川甫周の屋敷跡もあります。

桂川は、杉田玄白・前野良沢達と蘭学を学び『解体新書』の翻訳を行いました。

写真は屋敷を示した古地図です。

聖路加タワーから西に1ブロック歩いて右折すると、左側に明石小学校、右側にカトリック築地教会があります。

 

明石小学校は、数多く造られた震災復興小学校の中でも異彩を放っています。

パラペットの伸びやかな曲線は他では見られません。

これから取り壊されるので、今回の見学会がじっくり見られる最後の機会になりました。

築地永谷コーポラスを過ぎると、左側にあかつき公園があり、シーボルトの胸像があります。

シーボルトは、1823年に江戸参府に随行し1826年には将軍徳川家斉にも謁見しています。

 

次は日米修好通商条約を締結したタウンゼント・ハリスです。

開港によって日本に駐在した初代アメリカ公使ハリスは、1859年に元麻布の善福寺に公使館を開設し、1875年に築地居留地内に公館を新築し1890年までここに公使館がありました。

後に手狭になり現在のアメリカ大使館の場所に移転したそうです。

聖路加国際病院の一角にこのアメリカ公使館跡があります。

 

勝どき橋を渡りきると、右側は隅田川沿いの隅田川テラスです。

テラスは隅田川両岸に沿って整備された親水テラスで、治水上の高水敷に当たる部分をテラス化したもので、緑化され都民の憩いの場、散策路として親しまれています。

昭和60年からスーパ^堤防の整備事業として、隅田川両岸のほぼ全域、総延長46.9kmの計画で東京都が整備を進めています。

晴海通りに出たら右折しますと勝どき橋が見えます。

1905年(明治38年)、日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志により渡しが設置されましたが、埋立が完了した月島には石川島造船所の工場などが多く交通需要があったことで、1929年(昭和4年)に勝どき橋は架橋されました。

今回の旅の解説書によりますと、

月島は中央区の条例により幅員が4m未満の路地に接している建物についても、景観を残すべく注意を払っています。

基準法第42条3項の規定を適用し、一定の条件を満たせば路地の中心線より1.65mのセットバックで改築ができます。

佃2丁目から有楽町線が通る新富晴海線を渡り南下しますが、道路を渡るとすぐに、浄土真宗の佃島説教所があります。

ここでは御法話を聞いたり、御法要をしたりするそうです。

あとで出てくる築地本願寺の建立(昭和8年)の際に尽力した佃島門徒の説教所だそうです。

今回の東京の旅で一番驚いたのが「佃天台地蔵尊」です。

波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)のすぐ先を左折します。

人がやっと1人だけ通れる通路です。

住吉神社の境内には水谷緑亭の句碑も残されています。

水谷緑亭(1787~1858年)は、南茅場町に生まれましたが幼い時に父を亡くし、佃島の漁師に養われ、佃島の名主をつとめたそうです。

のちに川柳を学び50歳の時に五世川柳を承継し、嗣号の翌年には初世川柳以来の「誹風柳多留」の刊行を終えますが、その後、「新編柳多留」を刊行しました。

 

住吉神社の鳥居に重なって見える超高層マンションが目立ちます。

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月島駅から北西方に少し歩き、佃大橋の手前を右に入ると佃公園があります。

その北側に昔からある佃島は独特の江戸の雰囲気があります。

佃島は隅田川河口にできた自然の寄洲で徳川家康の時代に摂津国佃村の漁師を招いて住まわせました。

写真は朱塗りの佃堀にかかる佃小橋と係留されている漁船越しに見える三井不動産分譲の大川端リバーシティーです。

今回の旅の始まりはJR大崎駅です。

稲門会主催の「都内の名建築を巡ろう」第1回は不動産の大ベテランの皆様と総勢9名で、徒歩で月島から新橋までを見て歩きました。

私は埼玉から電車で行ったため、JR大崎駅で山手線に乗り換えて東京メトロの月島まで行きました。